大方2ヶ月ぶりのブログです。
7月からいろいろなことがありました。


実家の父が入院しました。栄養不足と脱水状態でした。
そこまでなったのは、ここ何年も尿がうまく排出されないせいで、何を食べても吐き気がして、おかゆ以外は食べれなくなり、ひどい下痢が続き、脱水状態になったのだと思います。前立腺肥大が原因のようです。入院して、膀胱に管を通し、尿がスムーズにでる手術を受けました。


吐き気もおさまり、なんとか食事が摂れるようになりましたが、衰弱した体はなかなか回復に時間がかかりそうです。
退院して今は、2週間になりますが、父にとって、入院していたひと月半という期間は、人生の試練だったとのちに聞かされました。
入院中からおしめをはずせなくなりました。若い頃の病気で、人工肛門による排便でしたが、そのシャントの取替えも自分ではできなくなりました。


本人にとっては不本意だったと思います。母亡き後、なんでも自分のことは自分でこなしてきた父でしたから。
人の手を借りなければ、生きていけないはがゆさに、身もだえしたことでしょう。
昭和一ケタの父ですから、人に迷惑になることを最大の恥と考え、自分を責めたりもしたことでしょう。自分が家族の幸せを、こわす存在になってしまった、と涙ながらに語りました。


回復が思わしくなかった、最大の原因は、心的な要因によるものだったと今はわかりました。退院した父からポツリポツリとですが、入院時の心境を聞くことができました。
まわりのみんなに見放され、病院へ閉じ込められ、誰も自分の気持ちをわかってくれないと絶望していたようです。だから食事もし、薬も飲んでいたのに、回復が思わしくなかったのでしょう。


私の目にも父は人が違ったように見えました。
栄養不足で脳に栄養が不足していたせい、おぼつかない足で自宅でも何度か転んで、頭を強打したせいでもあるでしょう。正常な思考ができなくなっていたようです。


8月の最後の週に退院した父は、もちろん自力生活はまだ出来ないからだでしたから、退院と同時に朝から夕方までデイケアーへ通うことになりました。
初めは、兄の夫婦共々、嫌がらずに通ってくれることを祈っておりましたが、これが以外にも、ケアの人たちはみんな優しくしてくれるし、ありがたいと思うと、周りのみんなに話、朝は身支度を整えたら、表へ、出て椅子に座って、お迎えのバスを待っているようなのです。


母亡き後、大方14年間、家族や親戚以外の人付き合いもほとんどない父の限界だったのでは、と思います。他人の暖かさに久しぶりに触れることができて、本当に嬉しそうでした。
兎にも角にも、ここまでなれたのは、兄夫婦の支えがあったから。
私の知らない、家族の様々な出来事を乗り越えてきて今があるのでしょうから。


先日は父が塗った塗り絵を見せてもらいました。先週はお茶会があり、お抹茶を、自分たちの手作りクッキーでいただいたとか。
なにもかもはじめての経験のようです。そうやって父が少しづつ人生の楽しみを見つけていけることを願っています。


私は娘としてできることは、時々ですが、元気な顔をみせに会いにいくことなのかなと思います。



本文とは関係ないですが、先日買った、秋ものの靴です。幅広、甲高の私の足にピッタリで、履いてみてとても楽なので気に入りました。
靴ってなかなか自分の足にピッタリくるものはみつからないですからね。